SS 3

踏切

満月が中天を過ぎた真夜中、都会のはずれに敷設された線路の警鐘が鳴り響いた。人気のない踏切に規則正しく赤の点滅が交互に繰り返され、点滅に合わせて警告音が鳴り、二、三秒後に遮断機が降りてきた。

男は降りてくる遮断機を遠くで眺めながら、歩調を緩めてゆっくりと踏切に向かった。踏切で待たないよう考慮した行動であったが、鳴りやまない警告音に男は立ち止まった。左右をのぞき見ても薄暗い暗闇があるだけで、列車の明かりは見えなかった。何もせず、ただ待つだけの時間がなんとも手持ちぶたさで落ち着かないことか。

男の住む街は東京のように大都会でもなければ、人口もさほど多くはない。街の人々は皆、穏和でのんびりとしている。男はこの街の出身ではない。仕事を探していたところに運良く見つかった高収入の仕事先がこの街だった。男は東京に住んでいたが、特に東京にこだわっているわけでもなかった。男は迷うことなく、すぐにこの街に越してきて目的の仕事に就いた。

東京は夜でも明るいが、この街の夜は薄暗い。闇夜の踏切はどこか恐ろしさを感じさせ、真夏だというのに男は肌寒さに身震いした。同時に背後から肩をたたかれ、男の心臓が跳ね上がった。
「よう、今帰りか?」

同じ職場の先輩だった。彼は私より先にこの街へ来て働いていた。歳も私より二つ上の三八歳だ。そのためか私は彼を先輩と呼んで慕っていた。実際に彼は面倒みが良く、おおらかな人柄だった。
「俺の部屋で飲まないか?」

持ち上げたられたコンビニのレジ袋には買ったばかりのビールとつまみが入っていた。先輩とはよく朝まで飲み明かす。お互い明日は休みだ。断る理由もなかった。

二人の目の前を貨物列車が通過して行った。


私は一度自分の部屋へ戻り、ビールと飲みかけの焼酎を持参して先輩の部屋を訪れた。同じアパートの一つ上の階にある一室が先輩の部屋だ。チャイムを鳴らすとすぐにドアが開いて先輩が顔をのぞかせた。

リビングに入るとテーブルの上に置かれた缶ビールのふたはすでに開いていた。私も席に着くと持ってきた缶ビールのふたを開けた。テーブルの上に広げられたスナック菓子をつまみ、つけられたテレビを見ながら話をして酒を飲んだ。お互い独身の一人暮らしだ。妙な気兼ねもいらない。四本目の缶ビールを飲み終えた先輩が次のビールに手を伸ばした。
「お前、この町にきてどのくらいだ?」
「もうまもなく三月が過ぎます」
「この三月の間で何か変わったこととか、困ったことはなかったか?」
「特にありませんが。急にどうしたんですか? 何かあったんですか?」
「まあ、特に何もないんだが。強いて言えば――」

先輩が缶ビールを空けるいい音がした。
「俺たちの仕事が何か知ってるか?」
「何って、特効薬を造っているんじゃないんですか?」

私たちの勤める会社は製薬会社だ。私たちは薬の製造に携わっている。仕事はいたって単純な作業で、数種類の薬品を決められた分量だけ、目の前に設置された巨大なタンクに注ぎ込む。操作はすべて前面の操作卓に配置されたボタンを操作して行うが、薬品の名前は知らない。操作ボタンにも、毎日渡される指示文書にも、薬品A、薬品Bとだけ記されている。混ぜ合わせた後は、そのまま一週間ほど寝かせてから濾過したものを別のタンクに移す。ここでさらに薬品Jと混ぜ合わせて蒸留したものが製品となる。

タンクと作業員は分厚いガラスで完全に仕切られていて近づくことができない。タンクが設置された部屋への入り口は電子ロックが施された扉の一カ所のみ。扉を開くにはIDカードが必要である。つまりタンクに近づくことができるのはIDカードを持っている者のみである。企業秘密を守るための当然の策ともいえる。

他にも情報の管理は徹底していた。特に人の入れ替わりの激しいたかが作業員には何も知らされていなかった。ゆえに作業員の誰もが何を造らされているのか知るよしもなかった。
「特効薬か。全くはずれているというわけでもないがな」
「まさか、やばい薬とか言うんじゃないでしょうね」
「やばい薬か。そういった表現のほうがあっているかもしれんな」

先輩はビールをあおった。
「俺たちはまずタンクに薬品を入れるが、あのタンクの中は空だと思うか?」
「空じゃ、ないんですか?」
「何か入っていると考えたことはないか?」

特に疑問を持ったこともない。空なのだと思いこんでいた。
「仮に空ではないとしたら、入っているものは何だと思う?」

私はすぐに返答できなかった。
「薬品を混ぜ合わせてから一週間寝かせる必要性について考えたことがあるか?」

考えたこともなかった。返えされない返答に先輩はかまわず先を続けた。
「俺はボタンを押しながら想像を巡らせてみた。真夜中を過ぎてから街を通過する貨物列車。おそらく、これに積まれているものがタンクの中身だ。人目を避けるため夜中に運んでいるのだから、当然、人の目にはふれさせたくないもの。となると、候補はかなり絞られてくる」

私は飲みかけの缶ビールを手に取った。アルミのひんやりとした感触が伝わってきた。
「ただの薬品を混ぜ合わせるためだけに、一週間もかける必要はないだろう。薬品はタンクの中の何かを溶かすためのもの。全て溶かし終えるために、かかる時間が一週間。一週間も放置する理由はここにある。タンクの中に何か入っているからこそ、一週間寝かせる必要があるんだ。薬品Jはいわばスパイスのようなものだ。Jで飲みやすいように、いちご味とかりんご味とかに変えている」

私はビールを飲んだ。飲んだビールがりんご味に思えた。
「どうだ?なかなかおもしろい想像だろう?こんなことでも想像しなけりゃ、俺たちの仕事はやってられないぞ。仕事ったって、ただボタンを押すだけだ。機器を導入して自動化したって良さそうなもんだ。それなのに、なぜ人の手にこだわるのか。しかも結構な賃金を支払ってまで、人間にこだわるのか」

私は先輩のように想像したこともなければ考えたこともない。私にとって高収入の仕事。ただそれだけでしかなかった。
「貨物列車には何が積み込まれていると思う?」

私は貨物列車に積み込まれているものを想像してみた。しかし何も浮かばなかった。
「お前は何が積み込まれていたらいいと思う?」

私はもう一度想像してみた。特効薬でみんなが喜ぶようなもの。そうだな。いささか想像力に乏しいが漢方とか。漢方といったって元になるものといえば、朝鮮人参ぐらいしか知らない。私は想像したままを答えた。先輩は私らしい回答だと声をたてて笑った。
「俺もいろいろなものを想像したよ。朝鮮人参も、もちろん想像したさ。いろいろなものを想像して、作業工程と照らしあわせてみた。さっきも言ったが一週間寝かせるというところがポイントだ。一週間かけて溶かすもの。溶かすのに一週間かかるもの」

先輩はまたビールをあおった。もったいつけないで早く答えを聞かせて欲しい。
「あくまでも俺の想像だがな――」
「何なんですか。貨物列車で運ばれてくるものとは?」
「気になるか?」
「そりゃ、ここまで想像させられれば、気になりますよ」
「そうか。気になるか」

先輩はビールをあおってから豪快に笑った。
「すまない。答えなんか無いんだ。俺も貨物列車で何が運ばれてくるのか知らないし、ましてやタンクの中は空なのか、はたまた何かが入っているのかなんて、まったくわからない。お前がこんなに乗ってきてくれるとは思わかったよ。やっぱお前といると楽しくていいや」

先輩は笑いながらからかうつもりはなかった、悪い悪いと繰り返した。酒の席での話だ。特に腹も立たない。私はビールを飲み干した。

私たちは空が白み始めるまで飲んだ。


私は先輩の部屋にあるソファーの上で目を覚ました。もう夕方に近かった。部屋に先輩の姿はなく、テーブルには昨夜の惨状がそのまま残されていた。おおかた近くのコンビニに出かけたのだろう。私はテーブルを片付け終えると、勝手知ったるなんとやらでシャワーを借りた。しかし30分が過ぎても先輩は戻ってこなかった。

しかたなく私は自分の部屋に戻った。先輩の部屋の鍵はアパートの管理人に適当な理由を告げて施錠してもらった。出かけたのだから鍵は持って行っているだろうし、持っていなくとも戻ってきて鍵が掛かっていれば、私の部屋を訪ねて来るだろう。そうすればまた管理人に開けてもらえばいい。

私は先輩の携帯電話に数回目となる電話をしたがやはり繋がらなかった。

次の日に私は職場に先輩が現れるのを待ったが先輩は出勤して来なかった。上司に尋ねると先輩は休みだと告げられた。しかし先輩の部屋の鍵は閉まったままで携帯電話も繋がらなかった

さらに一日後、上司から先輩が一身上の都合で辞職したと聞かされた。明らかに何かがおかしかった。仕事を辞めようと思っていたのなら、私に一言あっても良さそうなものだ。うぬぼれではなく、先輩とはそれぐらい親しいと思っている。

幾度となく鳴らす先輩の携帯電話は相変わらず繋がらない。間違いない。先輩の身に何かあったのだ。でもそのことを、なぜ会社が隠すのだ? 嘘までついて隠す必要がどこにあるというのだ?

先輩は運ばれてくるものが何なのかわかったのだ。秘密を知ったのだ。だから?! だからどうしたというのだ。会社が秘密の漏洩をおそれて先輩の口を封じたとでも言うのか?! ありえないだろう。事実が発覚すれば、社会的道徳を犯した企業などすぐに倒産してしまう。企業秘密、云々のはなしではなくなる。企業がそれほど大きなリスクを背負うとは思えない。では先輩はどこに?

最期の夜に話していた先輩の言葉が浮かんだ。

貨物列車で運ばれてくるものは何か?

私は想像してみた。

人目を避けて運ぶもの。溶かすのに一週間かかるもの。人の手、人間にこだわる理由――。

人間だ。我々、人間を運んでいるのだ。

高額の給金につられて就職する人は後を絶たないだろう。資源には困らない。そして私も資源なのだ。運ばれる日も遠くないだろう。

私は自らの想像に背筋が寒くなるのをおぼえ、首を振って頭から悪い想像を払拭した。すべては私の想像でしかない

夜の踏切で立ち止まり、貨物列車の通過を待ちながら、ただ、ただ先輩の身を案じた。

先輩は忽然と姿を消した。

思い出されるのは最期の夜に先輩が言った言葉だけ。

貨物列車は何を運ぶ?

目の前を貨物列車が通り過ぎていった。

―― 完 ――

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