SS 4

わらし 2

秋が深まり紅葉の美しい季節となり、東北の温泉街はよりいっそうの賑いをみせていた。

温泉街より少し離れた渓流の側にある旅館も連日の満室で大忙しだった。

創業から三百年を超える旅館の門をくぐると、程よい大きさの石が歩幅に合わせて並べられていて、左右には手入れのいききとどいた品の良い庭が広がり、奥に玄関があった。

宿泊客の見送りを終えた女将は玄関の引き戸を開けた。

すでに掃除の準備をはじめている従業員たちにねぎらいの声をかけると女将も掃除に加わった。

女将の持ち場は別の部屋にあった。

長い渡り廊下を過ぎてさらに奥にある部屋が女将の持ち場で、この部屋の掃除はどれほど忙しくても女将が行うのが旅館の慣わしだった。

他の部屋よりも広く造られていて、天井も高く、りっぱな梁があった。大きな掃き出し窓の内側に取り付けられた障子を開けると、旅館の側を流れる渓流と彩を成す木々の見事な景色が広がった。

秋は紅葉、冬は雪、春は新緑、夏は涼といった四季折々の景色を見ることができた。

子供のころから見慣れた景色だったがけして見飽きることはない。

この部屋で多くの人にくつろいでいただきたいと常々思っているのだが、旅館の慣わしにより客室として使用することはめったになかった。

この部屋を客室として使用したのは一年前の秋だった。

六十歳を越えた品の良い男性の客だった。

退職の記念に予定をたてない気の向くままの旅をしているのですと話す男は、予約のない突然の宿泊客だった。

あいにくと満室だったが、わざわざ温泉街から離れた旅館まで足を運んで来てくれたのだ。断るのも失礼に思えてこの部屋に案内した。それから秋になると毎年宿泊に訪れるその客だけは特別に案内していた。

そろそろ今年もいらっしゃる季節だ。

けれど季節が変わり冬となり、雪景色を楽しむころになっても男が訪れることはなかった。



渓流が陽光をあびてきらめきながら石の間をぬって流れ、朝の陽気に負けずに残った雪が石の上にこんもり丸くなって乗っかっていた。

やがて春になろうとしていた。

部屋の中は心地よい冷気ですんでいた。窓からは暖かい日差しが障子をやわらかに照らしていた。

女将は部屋の掃除を終えて退出しようと襖に手をかけた。女将の手は襖に添えられたまま止まった。

背後で軽やかに足音が走り、不規則な調子で続いてぴたりと止んだ。

全身に鳥肌が立った。手が震え、やっとの思いで部屋を出た。恐怖ではない。女将は歓喜に打ちひしがれていた。

女将はこの部屋の常連客である男と交わした会話を思い出していた。男が宿泊して帰るときに交わした会話だった。

男は言った。

部屋で寝ていると小学生ぐらいの子が迷い込んできた。部屋まで送ろうとして泊まっている部屋をたずねると、自分は旅館の子だと言う。それではと女将のところに行こうとした。しかし戻りたくない様子だったので、しばらくしてから送ろうと一緒に遊んでいたら夜も更けてしまい部屋に泊まらせた。朝起きたら姿がなかったので自分で戻ったのだと思う。男は心配をかけてすまないと詫びた。

女将の子供だと勘違いしているようだった。しかし女将夫婦には子供がおらず、宿泊客にも子供連れはいなかった。

困惑している男に座敷わらしの話を持ち出して場を和らげた。

男を見送ってから改めて宿帳を確認したが、やはり子供連れの宿泊客はおらず奇妙に感じたのを覚えている。

男の部屋に迷い込んだのは座敷わらしだったのだ。座敷わらしは本当に居たのだ。

先代の女将からは何も聞いていないが古い旅館だ。座敷わらしがいてもおかしくないだろう。

女将はそれから座敷わらしの好物である小豆飯を持って部屋の掃除に訪れていた。

足音はあれきり耳にしていないが、いつも翌朝になると小豆飯はきれいになくなっていた。



3ヶ月ほど経ったある日、女将は体調を崩して休養をとった。診察をうけた医者から妊娠していると告げられた。

結婚してから長いあいだ子供に恵まれず諦めていた二人にとって、とても喜ばしいことであり、まわりの皆からも祝福された。そして翌年に女将はかわいい女の子を出産した。

赤ん坊が成長して若女将の代になっても旅館の慣わしは変わらず、若女将は小豆飯をもって掃除に訪れれていた。もちろん小豆飯は翌朝になると綺麗になくなっていた。

小さいころはこの部屋でよく遊んだものだ。もちろん一人ではない。おかっぱ頭の女の子と遊んだものだ。いつのころからか、だんだんこの部屋で遊ばなくなり、部屋のことも女の子のことも記憶の隅に追いやられてほとんど忘れていた。

母親から旅館の女将を引き継いで、座敷わらしのはなしを聞かされて納得したことがあった。

それは小さい頃に不思議に思っていたことだった。

女の子は確かにいるのに、だれに訪ねても知らないし、女の子など見たもことない、部屋にはだれもいないと皆が言っていたことであった。

座敷わらしは子供の自分にしか見えていなかったのだ。

若女将が座敷わらしを見ることはなくなったが、翌朝にはきれいになくなっている小豆飯と、時折この部屋に宿泊するお客様が微笑ましい話を聞かせてくれる。

今も座敷わらしはいるのだ。そしてこの旅館を見守ってくれている。

若女将はそっと静かに襖を閉めた。

静まりかえった部屋に涼やかな笑い声と軽やかな足音が走った。

―― 完 ――